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Bienvenue en Bretagne ブルターニュへようこそ!ガレットやシードルなど豊かな食文化を生んだ、フランス ブルターニュ地方をご案内します。



ブルターニュの文化・アート

ローマ・キリスト教との融合

ローマ人侵入後も人々は神秘的な生活を続けます。ドルイドDaru-vidは「オークの賢者」の意味で、万能薬ヤドリギの巻きついたオークの木の下で儀式を執り行い、四葉のクローバー等といった希少な植物を崇拝していたそうです。ガリアのドルイドは自然科学ピタゴラス派の影響で学問の体系化と組織的教育を行いますが、アルモリカやブリタニア、ヒベルニア(アイルランド)のドルイドは祭祀者のまま衰退しました。彼らが政治の表舞台から姿を消すと、人々は古い習慣を自ら守ろうとし、何世紀もの間因習にとらわれた日々を送ることになります。

ケルトの諸部族には共有する神は居ず、政治的に統一されることがありませんでした。ローマのマルス神はレンヌの守護神ムッロと同一視されてマルス・ムッロ寺院が造られたり、ヴィレンヌ川守護のウィシヌス・マルス神という合名神へ捧げた石板も出土するなど、他民族の神々とも共存していきます。

キリスト教が導入されてからも、人々は隆起した石を崇め続けます。巨石崇拝の慣習がキリスト教にも許容されたのは、サンテュズーのメンヒル menhir de Saint-Uzecのように彼らなりの信仰心から石に十字架を刻んだためでした。後年十字が刻まれたメンヒルは、今でも十字の石柱として路傍に数多く立っています。

ナントで453年、レンヌ・ヴァンヌでは461年からキリスト教宗教会議が開かれ内陸からのキリスト教流入が行われました。沿岸部ではウェールズからは次々と修道僧が渡来し、ドルドブルターニュに聖サムソン、聖ポール(レオン)、聖ブリアック(サンブリユー)、聖マロ(サンマロ)などが布教をはじめ、創始7聖人の開いた聖堂7か所を巡るツアーもあるほど信仰を集めています。布教にあたっては自然信仰を利用しつつ改宗を進める方法が取り入れられましたが、この時代はブリテン島からブルトンが再来し、ブルターニュはますますケルト文化がますます濃くなっています。

11月1日、2日の万聖節はフランス全土で大移動があり、墓参が行われる重要な日で、聖人だけではなく先祖、身寄りのいない死者、埋葬されない海難者など全ての死者に皆で祈りを捧げます。このキリスト教化した祭日は、実はケルト新年と諸聖人の祝祭が起源で、英語でサウィーンSamhainという古代ケルトの最も重要な祝祭でした。

ブルターニュでは前夜に聖霊が集まると信じられ、家の周囲に蝋燭を灯して悪霊を驚かせる風習が近年まで続いていました。カボチャを灯すハロウィンの祭りがそれで、移民により伝統が継がれたアメリカから逆輸入されて復活しました。降誕祭(クリスマス)も元々ケルトの冬至の祭りがキリスト教化したものという研究者の見解です。ほかにも夏至である聖ヨハネの日の焚火で太陽に力を与える儀式や、年に一度信者が恩赦を願って聖域巡礼を行うパルドン祭が続いています。中でもロクロナン村の伝統衣装で一週間巡礼を行うトロメニーは美しい祭礼として知られています。

このようにキリスト教は数世紀をかけて人々の絆や死者への敬意といった概念を取り入れ、異教とその神秘を共有します。またブルターニュの人々はローマ文化やキリスト教と融合し、信仰によってインスピレーションを得たアーティストたちは、自由の精神を保ちながら伝統を忠実につないでいきました。

7~9世紀の修道院で装飾写本が制作されて、ケルト美術に新たな発展が生み出されました。世界で最も美しい本と呼ばれる8世紀の聖書「ケルズの書」などテクストと装飾文字の視覚とで神力が現れそうです。渦巻き、組みひも、動物などをモチーフとした写本の文様はタラ・ブローチなどの工芸品にも共通し、ラ・テーヌ期よりも強調された装飾性に圧倒されます。またこの時期独自の書体「インシュラー・ハーフ・アンシャル体」がウェールズとブルターニュ共通で使われ始め、ケルト文字として今日アイルランドで使用が勧薦されています。

中世の城と伝説物語

ブルターニュ花崗岩のベージュや灰色の建物と街並みは、初めて訪れる人に重苦しい印象を与えますが、新しさや古さを感じさせずに調和の風景を作り出しながら何世紀もの風雨をのりこえて残されています。しかし中世にフランス侵攻や海岸からの襲撃に備えて建造された石造りの巨大な城砦は、宗教施設とは異なり、苔むして荒廃の一途を辿りました。フジェール城のような規模と堅固な作りは当時の激しい攻防を想像できます。宮殿も兼ねた城も後年作られ、その後はサンマロなど17世紀の軍事技術者ヴォーバンの建築理論が導入された海岸線防御の城砦も造られます。ただ全体としてブルターニュの城に共通する点は、代々の城主は日頃から剣を身に着け質素な生活を送り、自ら農園経営に熱心なかわりに城内の装飾にあまり熱心でなかったことです。

そんな中世に花開いた騎士道物語の元はブルトンたちが口承で伝えてきた数々の物語です。

古代ケルトではアイルランドのハープに象徴されるように、音楽や芸術が大切にされてきました。日本人になじみの深い蛍の光などスコットランドやアイルランドの民謡も、古代からの謡が大切にされてきたのです。歌い手として高い地位をもつバルド(吟遊詩人)が、一族の歴史と系図を朗読して英雄伝を語りました。そこから口承文芸も生まれ育ち、神々や英雄、獣、自然などをたたえる様々な話が生まれました。超自然的な存在や、神秘的なことがらが大切にされたブルターニュでは特に不思議な話、陽気なほら話、歴史と冒険の話など、あらゆる伝説の宝庫となります。また中世の暗い夜に耳を傾けた人々の想像力を呼び起こしたように、口承で伝えられた吟遊詩人の発する言葉と力強い寓話の骨格は、「アーサー王物語」をはじめ、誰もが知る「ガリバー」、「ピーター・パン」、「人魚」などの物語のもととなり、現代の芸術家にも影響を与えています。

バルドの伝承を記した12世紀の『ブリタニア列王史』にはシェイクスピアのリア王のモデルと言われる紀元前5世紀のレイア王物語、また5世紀後半のアーサー王の物語があります。魔力を持つメルランが湖の妖精ヴィヴィアンに愛されて森に閉じ込められる物語は同じ作者の詩『メルランの預言』が元で、メルランはケルト賢者として描かれていました。またリンゴの島アヴァロンを治めるモーガン・ル・フェイは学識と医術でアーサー王を助ける女ドルイドを想起させる人物像ですが、後年騎士道文学では妖術使いの魔女と描かれてしまいました。

ブロセリアンドの森に運ばれたキリストの聖杯をアーサー王とランスロら12人の騎士が探す円卓の騎士物語、コルヌアイユ王マルクが求婚するイゾルデを取り戻そうと甥トリスタンをアイルランドに遣わし、帰路の船で間違って媚薬を飲んだトリスタンとイゾルデが恋に落ちてしまう物語なども加わり、中世騎士道文学は宮廷の人々や民衆を夢中にしました。

またほかにも6世紀コルヌアイユの姫ダユーが町を守る水門の鍵を悪魔に渡してしまい、首都イスが水没する説話がありますが、元々のイス物語は少し違っています。平和で豊かな国、コルヌアイユの王グランドロンは、首都イスに教会を建てよというローマの要請に対して、既に建物が過密な街中ではなく街の外を提案しました。この地で布教をしていた修道士コランタンとゲノレはその提案に理解を示しますが、ローマは街を滅ぼして教会を建てるという命令で、市民は驚きます。王は仕方なく街中の教会建設を受け入れますが、大地を愛する娘のアエはアレ山に登ってケルト神ケルヌノスの助けを求めます。夜町を救いに来るからとアエを町に返したのですが、夜には大水が来て町は水没し、王と2人の教徒だけが救われたという物語です。海の中の人々は今でも永遠の生を得るのですが、悲しみの王は同じ場所に街を造らず、カンペールを首都としてコランタンと共に聖堂を造りました。現在ではアエは山の精に堤防を造ることを相談に行ったと考えられ、ブルターニュでも海岸地方の水害が時々起こることを子孫に言い伝えたと思われます。

吟遊詩人たちとは別に、修道院ではラテン語で歴史、キリスト教史、道徳と哲学を学んでいました。ブルターニュの聖人の物語が修道院で書かれたり、普遍は存在しないという唯名論を起こしたアベラールが12世紀に現れますが、15世紀にナント大学が創設されると歴史家や詩人など多くの作家を輩出するルネサンス時代を迎えます。

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