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Bienvenue en Bretagne ブルターニュへようこそ!ガレットやシードルなど豊かな食文化を生んだ、フランス ブルターニュ地方をご案内します。



ブルターニュの文化・アート

巨石文化

ブルターニュの巨石文化は紀元前5000年もの新石器時代にさかのぼり、ケルト人以前の先住民による遺跡と言われています。ヨーロッパでは巨石記念物(メガリス)がキリスト教徒によって組織的に倒されますが、自然崇拝の続くブルターニュでは多く残されました。

単一で直立した立石メンヒル(menhir)ブルトン語の「長い石」を意味する単語に由来しますが、どのような意図で立てられたのかは解明されておらず、メンヒルを立てた人々の言語も分かっていません。Kerloasにある9.5メートルで立つメンヒルは最も高く、またかつて約20メートルの高さがあったロックマリアケールの4つに割れた巨石もあります。

カルナック列石は3000以上のメンヒルが3つのグループに並べられ、東西数キロメートルにわたって整列しています。長方形の対角線の延長が夏至・冬至の日の出、日の入りに合っているなど太陽崇拝の関連性があるようです。

ブルトン語で「石の机」を意味するdol menを語源とするドルメンはブルターニュ地方に多く見られ土に覆われた古代の有力者の古墳でした。紀元前6500年-4500年にはヨーロッパ全域に農耕が普及し、上級階層の墓として徐々に巨大な支石墓へ発展したと考えらます。その後上級階層を中心とする社会構造が崩壊し、民主的な共同体にとって代わられた紀元前2000年頃には西ヨーロッパの支石墓は消滅し、土も風雨により流されて巨石が露出しています。

石墓の副葬品からは美しい工芸品も発見されました。翡翠で作られた装飾が施された飾斧、calaïsという緑の石で造られたジュエリーと見事なネックレスもみつかります。ガイヤール城(夏期のみ)カルナック先史時代博物館またロッシュフォールアンテールの中世村の隣にある先史時代パークでは50万年前の原人からの生活が再現されています

古代ケルト文化~装飾性と自由な精神

紀元前1800年頃、銅と錫の鉱脈が豊富なブリテン島南部とブルターニュで青銅器の製造が始まり、ウェセックス文化又はアルモリカ文化と呼んでいます。その後8世紀頃、ヨーロッパに初めて鉄を使いこなす民族が現れました。 後にギリシア人により、ガリア人、ケルト人と呼ばれた彼らが、ヨーロッパ人の先祖「ケルト民族」です。 紀元前の500年間には、その活動範囲、高度な文化の面でも絶頂期を迎え、ローマ人によって支配されるまでの間、ヨーロッパ全土で栄華を誇ります。かつては前12世紀~前6世紀の中部ヨーロッパの鉄器を中心とするハルシュタット文化、前5~後1世紀の中部ヨーロッパからイタリア北部にかけては具象描写が装飾的なラ・テーヌ文化、そしてアルモリカでは幾何学的な装飾が特徴でした。

古代ケルト人の自由の精神は、度重なる民族移動、多神教、また見るものに解釈の自由を残すという芸術表現に現れています。優れた農耕技術をもつケルト人たちは、ヨーロッパを穀倉にしました。この農本主義経済がケルトに豊かな富をもたらし、彼らの自由な精神性の基盤となります。豊かさは絢爛豪華な彼らの装飾芸術にも象徴されています。トルクと呼ばれる首飾りなど装身具の装飾、生活用品に施された模様の緻密な技巧。自然をモチーフにしたものが装飾性を増し、幻想的な模様へと進化をとげていきました。

テムズ川で発見されたバタシーの盾は、紀元前54年シーザーがテムズ川を越えてきた際のケルト戦士のものらしく、美しい武具を身に着けた戦士の高貴さが今に伝わってきます。

彼らは曲線を好んで用いました。ローマ人の用いた直線はその有限性が好まれず、ケルト人たちの間にはあまり広まりませんでした。迷宮のような曲線模様には始まりも、真ん中も、終わりもなく、外に向かっていたものがいつしか内へ収斂していきます。渦巻き模様の多用、内側に同じような模様が繰り返されるフラクタル的な模様もみられます。このケルトの人々の自由奔放性、不確実性への嗜好は、自然というものを捉えていた彼らの視点を透かしてみせてくれるようです。私たちが今世紀になって証明した科学も古代ケルト人たちの目には既に明らかだったのかもしれません。合理主義によって忘れられようとしている、人間のもつ想像力やひとつのものを多面的に捉える姿勢。ケルトの文化遺産を、今日の皆さんの心のどこかにぜひつないでいただきたいです。

先史時代から中世までのブルターニュの美術品はレンヌ図書館併設のmusée de Bretagneに分かりやすくまとめられ、またカンペールの県立博物館にも良いコレクションがあります。

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